旭川市長選挙が4日告示された。2人の候補者をめぐり、「どちらを選んでよいか迷っている」という声を知人から聞かされた。心の底から投票したい候補がいないという。

 でも、現代日本のような価値観が多様になった社会では、特定の有権者(層)が大満足し、すっきりした顔で拍手喝采するような候補者は、むしろ危ない。異論が置き去りにされている恐れがあるからだ。

どの候補者に対しても、少なくない人が不満を抱き、「でも、別の候補よりはまだマシ」という判断から投票する。そういう選択の仕方を残念がらなくてよいと思う。

政治理論家のグッディンは、公共体の運用を考えるうえで「どの程度の犠牲なら許容なのかをめぐる公共的な議論を理性的かつ現実主義的に遂行すること」が有効だと言っているそうだ(※)。選挙においても、それが当てはまると思う。


選挙を映画やドラマにしてはいけない。有権者は感動を期待せず、どこかに不満が残る候補を「まだマシ」として、冷めた眼で選ぶ。そんな精神的な強さを大勢の人が備えているのが、成熟した民主主義社会であり、多様性を尊重できる社会なのではないか。


幸い今の制度では当選者は白紙委任されない。議会やメディアや市民運動のチェックにさらされ、住民投票や解職請求というツールもある。それらを通じて、有権者は選挙後も継続的に当選者を動かせる。


投票日までの1週間。有権者の感情にことさら訴えようとする人がいたら気を付けたい。今は熱情はいらない。冷静さを失わず自分のアタマで考え、そして投票に行こう。


 

 ※山岡龍一ほか、「公共哲学」放送大学大学院教材、2017年、34