前の方の座席にいた高齢の男性がおもむろに立ち上がり、上座に居並ぶ市議会議員たちに向かってマイクで訴えた。「この数年、事務のOA化が進み、市役所への提出書類もパソコンで作ることを前提とした様式が増えている。アンケートなどの集計結果も市のホームページだけで公表するなど、高齢者を始めとする情報弱者への配慮が十分ではない。対策を検討してほしい」

26日の夕方、旭川市の高砂温泉の大広間。市南部の町内会連合会と、私を含む地元議員との懇談会の一場面だ。正式名は「神楽地区市民連絡協議会」と言う。町内会の会長や副会長ら30人以上がずらっと座り、向き合う形で5人の議員が上座に並んだ。

水害対策や交番の設置要望など、いくつかのテーマで意見交換をしたのだが、私の印象に強く残ったのがこの男性の訴えだった。


■網ではなく壁

わたしは、ダニエル・ブレイク

先日、札幌で観たイギリスの社会派映画「わたしは、ダニエル・ブレイク」と重なった。映画では、高齢の主人公が当然の権利である失業手当と生活保護を受けようとするが、役所からインターネットでの申請を要求され、悪戦苦闘する。ネットは「網」ではなく「壁」だった。

私は男性の質問の概要を事前に聞いていたので、前日、市の情報政策課に事実関係を取材した。市役所への書類提出や市からの情報公開を電子的な手法に限っているのか、と聞いた。担当者は「いいえ、それは誤解です。紙による従来のやり方を必ず残しています」と答えた。当惑したような表情だった。

私は懇談会で、男性に情報政策課の説明を伝えたうえで、自分の意見を述べた。「役所はこう言っていますが、それだけで済むとは思いません。50歳の私も今は多少パソコンを使えていますが、どんどん進化していますので、いつ取り残されるか不安です。大事な御指摘をありがとうございます」

■訴えの本質

旭川市総合庁舎男性の訴えは、いくつもの重要な要素を含んでいる。

一つは、いわゆるデジタルデバイド(情報格差)の問題だ。効率を最優先にした情報技術の普及についていける人とそうでない人との間で、得られる情報や利益に格差が生じている。ウィンドウズ95の登場から20年以上がたち、技術の進化は加速度的に進み、格差も拡大している。

二つ目は、疎外感に対する想像力の不足だ。旭川市は紙によるアナログ方式も残していると言う。しかし、それだけではこの人たちの不安はなくならない。本当は、そんなことを求めているんじゃないからだ。

行政の電子化は、男性の「悲鳴」が向けられていることのほんの一部分に過ぎない。生活の様々な場面で急速に技術が進化する状況に、少なくない人々が取り残されるという疎外感を、これからも無事に暮らしていけるのかという恐怖感を、抱いている。どうしてよいかわからない。この不安な気持ちを、同じ共同体に生きる人たちと分かち合いたい。これが男性の訴えの本質だ。そのことを情報政策の担当者は、十分に想像できているだろうか。

アナログ方式は「免罪符」にはならない。われわれ政治職も含め、市政に携わる者たちが、まず市民の不安に寄り添う姿勢が必要だと思う。


■社会の分断線

 三つ目は、社会の分断の問題だ。懇談会では、職員の世代交代が進んでいることが背景にあるという意見が出た。パソコン・スマホに慣れた世代が、地方行政の担い手の中でも多数派になっている。効率化の面では良いが、前述の想像力が欠如していればどうなるか。社会の分断に気付かず、放置してしまわないか。貧富の格差による分断とは、また別の分断線だ。


 いずれも社会全体が抱える課題であり、一市役所だけに対応を迫るのは不公平かもしれない。それでも一つ一つの市民の声を奇貨として、対策に動くしかない。かなり積極的な配慮や施策が求められる。

 私自身もこの記事をパソコンで書き、ネット上で発信している。それだけでは矛盾であることは承知している。紙媒体の「あずま直人市政だより」にも本稿を載せて、いろんな人に読んでもらおうと思う。議会や様々なフェイス・トゥー・フェイスの場でも話し合い、人々の不安な気持ちを理解したい。

 

(実は、四つ目として、今の旭川市政が非公務員である町内会の役員に行政事務の一部を負担させている問題がある。軽視できない問題なのだが、これについては別の機会に論じたい)